2011年1月8日土曜日

2010下期総括-1(恋ノ岐川で鉄砲水)

結局、2010年もブログをまったく更新しないまま年が明けてしまった。ということで、今年は短い文章でもマメに更新しよう、という意欲を込めて、2010年の総括をしておく。
昨年は夏に荒川自転車道を自転車で走行中、転んで頭を強打し、救急車で運ばれる、というアクシデントがあったが、そのトラブルすらも序の口といえるほどの事態に夏の山で見舞われた。
沢は真名井沢の後、7/25に仲間たちと、丹沢のマスキ嵐沢を遡行した。1級上だがそれなりに危険な沢で、ザイルも出した。下降で尾根筋を間違え、元の沢に戻ってしまうというミスも犯し、結局、懸垂下降を何度も行って下りてきたのだが、帰りの車で秩父の沢で、沢登りの登山者を救出中のヘリが墜落したというニュースを聞いた。この事件は、日テレの報道局員の3次遭難(おそらく鉄砲水で)も引き起こすのだが、われわれも約10日後、その鉄砲水に遭おうとは、思ってもみなかった。
さて、その鉄砲水事件は昔の山仲間と行った新潟・恋ノ岐川で起こった。以下、一緒に恋ノ岐川を遡行した大学ワンゲルOB仲間が書いた報告を転載しておきます。
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21・22期 夏合宿(恋ノ岐川 -鉄砲水の恐怖-)
今年は沢の事故が新聞を賑わせた。秩父山系ブドウ沢でのヘリコプター墜落と記者遭難の事故、日高の沢での東京理科大生遭難事故など、山に縁のない人々にも“沢登り”という言葉がインプットされた。しかも2つの遭難がいずれも沢の増水で流された事故であったことから“沢登り”と“流される”がペアとなって人々の記憶に残ることとなった。我々も一歩間違えば、この夏もう一つの大きな沢の事故の(それも中高年パーティの)当事者として世間を賑わせたかもしれない。TUWVに入部以来、30年近く仲間と沢登りをしているが、初めて「鉄砲水」の怖さを目の当たりにした。

8/6(金) 小出駅前のへぎ蕎麦で腹ごしらえをし、タクシーで恋ノ岐橋へ。奥只見の山々は真夏の緑に覆われ、空は青く絶好の沢日和に思えた。企画書では恋ノ岐橋で一泊の予定であるが、まだまだ日が高いのではやる気持ちを抑えられない。沢筋の遥か奥の空が黒い雲に覆われているのが気になるが、行けるところまで行こうと予定を変更して入谷。前回来たのは四半世紀くらい前のこと。ほとんど記憶が残っていないのにもかかわらず、なぜか懐かしい。こんなに水多かったかなと思いながら遡行。最初のゴルジュ帯を抜けて右から枝沢が入るところに2段5mの滝。恒例(高齢?)のお見合い写真に興じる。
T(この報告の筆者)の次にSさん(これが私)が滝を背に立った時のこと、ファインダー越しに見る落ち口の水位が見る見る上がってくる。そのあまりに急激な変化に、ただ事ではない恐怖を感じ、言葉にならない大声を上げて逃げる。ザックをつかんで枝沢を駆け上がる。振り返るとものすごい勢い
の濁流が吠えるように滝を覆い隠している。その間わずかに20秒程。気が動転している中で、この枝沢も同じように濁流が下ってくるのではないかと、木の枝をつかんで右岸の高台に上がる。木々の間から覗くと、恋ノ岐川は一面、ココア色の濁流だ。一息ついて辺りを見回すと、滝を背にして最も出遅れたはずのSさんがなぜか一番高いところまで上がっている。



高台に平地を見つけ、藪を踏み倒してテントを張る。横になると様々な思いが湧いてくる。これが鉄砲水というやつか。我々はカッパすら着ていないが、上流では激しい雷雨だったのだろう。写真を撮らずに滝に取り付いていたらどうなっていたのだろうか。枝沢のない対岸を偵察していたら・・。枝沢がなかったら・・ゴルジュ帯だったら・・。怖い想像がぐるぐるする中で、無事だった幸運を噛み締めて眠りにつく。

8/7(土) 朝は何もなかったかのように水が引いている。頭の上は青空。しかし、鉄砲水の後遺症でアラ50の士気は上がらない。今日も上流で雷雨があるかもしれないとの思いが頭を過ぎるが、午前中にオホコ沢出合いまで行けば大丈夫と5時に出発する。オホコ沢出合までは大きな釜を持つ滝や快適に登れる小滝が続く。花崗岩の上を水が静かに流れるナメ床には心が洗われる。大高巻きの下降でザイルを出して時間を取られるが、予定の12時にはオホコ沢出会いに着く。オホコ沢出合の左岸の高台にテントを張る。案の定この日も強い夕立。拾い集めた流木はどれも芯まで濡れていて火が熾らない。皆で小さなテントに入って背中を丸めて酒を飲む。「鉄砲水」が頭を離れない。翌日は恋ノ岐源流をやめ、オホコ沢の初遡行に挑戦することを決めて眠りにつく。

8/8(日) 朝はまずまずの天気。迷わずオホコ沢に入る。恋ノ岐川本流に比べると沢幅も狭く水量も少なくなるが、意外と滝が多くフリークライムを楽しめる。二口の沢に雰囲気が似ている。沢を最後まで詰めると台倉山北西コルの水場に出る。遡行タイムは約3時間。エスケープルートとしても使える沢である。ザックを置いて平ヶ岳に向かう。
池ノ岳から眺める平ヶ岳は今回も穏やかで優しい。その風景に満足し、玉子石の無事な姿だけを確認して下山の途につく。それにしても20年前と比べて平ヶ岳周辺に登山者が多いことには驚かされる。その多くは玉子石手前で北へ折れて下っていく皇太子登山道の利用者だ。身近になった平ヶ岳。もう秘境とは呼べない。鷹ノ巣尾根の下りはあいかわらず長くていやらしい。沢から上がった後ではやたらと重く感じられるザックにうんざりしながらひたすら下る。最後の一泊はテントをやめて清四郎小屋の布団で寝ることにする。露天風呂で3日間の疲れと緊張を洗い流し、ビールで乾杯。至福のひと時。今年の夏合宿も無事終了。

山行が終わっても「鉄砲水」の衝撃はなかなか収まらず、しきりと反省してみるがどうしても「こうすればよかった」という解答にたどり着けない。沢筋の奥に真っ黒な空を見たときに、入谷しない英断をすべきだったのだろう。しかし、それでも収まらない。その場合、おそらく我々は暇をもてあまして釣りに出かけたに違いない。エッセン長のAさんと手伝いのI、Tはしばらくして橋の上に戻ってくるが、きっとSさんだけは深く谷を分け入っている。滝つぼで一心不乱にフライを振っているときに鉄砲水が押し寄せたに違いないのである。帰らぬSさんを心配しながら、橋の下の濁流を覗いて呆然とする3人。そんなシーンばかりが浮かんできてしまう。幸運に感謝し、もう沢は潮時かと思いながら新幹線で帰路に着いた。
【行動記録】
日程:2010/8/6(金)~8/9(月)
メンバー:4人
1日目:12:00小出~(タクシー)~13:35恋ノ岐橋~14:45右からの一本目枝沢出会い(C800)、鉄砲水
に遭遇、高台にビバーク(泊)
2日目:5:05 C800~6:25清水沢出会~12:10オホコ沢出合(泊)
3日目:5:55オホコ沢出合~8:00オホコ沢源頭~10:30玉子石~台倉山~16:20清四郎小屋(泊)
4日目:清四郎小屋~(バス)~尾瀬口~(船)~奥只見ダム~(バス)~浦佐
【プレ山行】
奥多摩トレール(4/10)、雲取山(5/15-16)、真名井沢(6/6)、大滝沢マスキ嵐沢(7/25)

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