2012年2月25日土曜日

2011総括-3(黒部源流・薬師岳)


8/48はいつもの昔の山仲間と3年前、 2008年の夏も楽しんだ北アルプス・黒部源流へ。
Iさんが「黒部は一度も行ったことがない」とのことで前回とは行程をひと味変えて、赤木沢を完全遡行、別天地・赤木平から薬師沢左俣を下降、翌日薬師沢右俣を遡行し、薬師岳ピークを 落とし、折立に戻るという、黒部入門コースを設定してみた。さて、その結果は...... 
8/4() いつも使っていた夜行列車「北陸」「日本海」などが廃止されたため、今年は池袋23時発の 夜行バスで富山へ。3列シートで意外と快適だが、疣痔を患う私には辛い時間であった。
8/5() 富山からは予約してあった折立行き直通急行バスを利用。朝8時には折立着。太郎平に向け歩 き始める。太郎平で生ビールを楽しんだ後、薬師沢出合いに向け下降。薬師沢出合の小屋付近は幕営禁止のため、いつも利用している出合い手前30分ほど にある、左俣・右俣出合い付近のいつものテン場に 臨時野営。てんからで岩魚をしこたま釣り、焚き火で焼いて、 皆で酒を飲みながら馬鹿話をする。たまらないひとときである。

8/5() テントはそのままに、昼のソーメンの用意とザイルだけ持って薬師沢出合いへ。そこから黒部源流を遡行し、日本で最も美しいと言われる赤木沢へ。今年の夏の天候はずっと不安定で、この日の天気 も曇時々雨。水量も増水中だ。赤木沢を軽快に遡行 した後、源流部で流しソーメンを食す。その後、流れが細くなった源流部を詰め赤木平に至る。


まさに別天地と言っていい赤木平は、高山植物が 咲き乱れる草原で、もし晴れていたらゆっくり昼寝 でもしたいところだが、天候が急変、雷も鳴り出したので、薬師沢左俣をすぐに下降し始める。.....が、この左俣が曲者だった。下調べを一応ネ ットでしていたのだが、「ザイルを出すほどのこともない簡単な下降ルート」とのことだった。しかし、草原を過ぎ、下りが始まると様相は一変。急峻な滝 が連続し、滝の脇の藪を使っての過酷な下降を強い られる。7mmザイルを持ってはいたが、懸垂下降にかかる時間が惜しいので、左岸、右岸のどちらが降り やすそうかをほぼ勘で判断し、フリーで岩場と藪の下降を続けた。

こういう時に大学のクラブでの経験と30年超の付き合いが効いてくる。トップの判断を後続の人間が脇から谷を覗き込んでサポート。先行が行き詰まったら、すぐに後続が代替のコースを偵察し、ルートを決める。特に細かな打ち合わせを行わなくても、絶妙のチームワークでここしかないというコースを自然に選び取り、下っていく。約4時間ほどかけてテン場に到着、皆ヘトヘトで、この時点で「空身の下降でこのバテ具合。明日、右俣をザックを背負って登るなんて無理」との意見多数で、翌日は縦走路から薬師岳を目指すことにする。

8/6() テン場から太郎平にザックを背負って引き返し、指定幕営地の薬師峠にテントを張って、薬師岳ピストン。何度もこのエリアを訪れているが、薬師に登るのは皆初めてだ。今回は百名山ハンターのメンバーの要望を叶えるための山行でもあるので、他のメンバーも渋々、薬師岳を目指す。ただ、Iさんは女子大生溢れる薬師峠のテン場の雰囲気が気に入ったのか「ここで山ガールを見ながら待ってる」と、1人だけピストンをしない決断をする。
8/7() 薬師峠のテントを撤収。太郎平を経て折立に下山。富山で寿司を食べて列車で帰京した。皆、50歳を超えて、膝に爆弾を抱えるなど、荷物を担いでの沢遡行が困難な年齢となってしまった。 空身の沢登りか縦走がこれから夏合宿の形態と,なるだろう。もっとも、黒部源流はあと5、6年たっても我々にも遊べそうだ。また皆と訪れたい。

2012年2月5日日曜日

2011総括-2(鳳凰三山、槍ヶ岳)

7/15〜16は槍プロで会社の同僚たちと鳳凰三山へ。車で夜叉神峠に入り、南御室小屋でテント泊。翌日、鳳凰三山を攻め、高嶺から白鳳峠、広河原へと下りるルート。天気良く、初日は順調。しかし、翌日は天気良すぎ暑さにバテる。Aは地蔵ピストンをはしょるほどのバテ方。さらに白鳳峠から広河原への下山ルートも、道の整備がなされておらず、悪い。Aは一度、転んで転落し、引率者たちは肝を冷やす。しかし、いつも思うが、南アルプスは余り面白くないです。


7/29〜31は槍プロ本番。鳳凰三山と同じ3人パーティーで新宿発の夜行バスで上高地に向かう。天気予報はあまり良くないが、自由に休めないサラリーマンゆえ仕方ない。行程はかなりタイトで、初日にテントを担いで殺生ヒュッテまで。小雨降る中、Aをだましだまし、夕刻なんとか殺生着。雨のためハイシーズンなのにテントは我々のみ。翌朝はテントを張ったまま、雨の中、槍ヶ岳ピストン。ピークには誰もおらず。当初の予定はその後、表銀座を燕まで縦走する計画だったが、あまりの悪天に殺生のテントを撤収し、下山へ。徳沢園でキャンプをし翌日、帰路につく。Aにとっては、あこがれの槍ヶ岳に登ったのにピークから何も見えず、さぞかし残念だったことだろう。ま、山は逃げないから次があるさ。


2012年2月4日土曜日

2011総括-1(奥多摩界隈、雲取山、棒ノ折、シダクラ沢)

結局、忙しさにかまけ、2011年もちゃんとブログに記録を書けなかった。震災で仕事がばたばたになったのと、山のパーティーを掛け持ち(昔からのクラブの連中との山行と、会社関係の山行)し、山行回数が例年より多くなってしまったのが主な理由。前回書いた1人の女の子を槍ヶ岳に連れていくべく「山ガール養成講座」をやっていたのも大きい。ということで、簡単に2011年を振り返っておきます。

●4/29〜5/1は、昔の山仲間と石尾根から雲取山、そして長沢背稜、一杯水小屋からという縦走コースを2泊で行った。初日にやや張り切りすぎ、右膝を壊すというアクシデント。雲取ピークからは痛みに耐えての山行だった。ただ、長沢背稜のブナ林は美しく、新緑の頃に是非訪れたいと思った。(写真は長沢背稜を行く友人I)
●5/14〜15は会社の女性Aをテント泊で槍ヶ岳に連れて行く「槍プロジェクト」山行1回目。石尾根から鷹ノ巣小屋。ここでテン張って翌日に雲取山、鴨沢下山というコース。Aは登りのスピードは落ちるものの、よく頑張り、テント泊も苦ではない様子。登りのインターバルも1時間歩いて、10分休憩に適応。なかなか筋がいい山ガールに育ちそうだ。雲取山は1000メーターより上はまだ春には早く、新緑もなし。全般的に晴れていて暖かかったが、朝晩やガスると寒く、ビールの旨さは今ひとつであった。(写真は夕暮れの鷹ノ巣小屋前テン場)

●6/4は日帰りでAを連れて奥多摩前衛、岩茸石山から棒ノ折の縦走路を歩く。岩茸石山からは静かな山道。棒ノ折からミニ沢歩きが楽しめる白岩沢コース。名栗で温泉に入って帰路に付く。(写真は岩茸石山直下)
●6/4は昔の山仲間との沢登りで、いつものシダクラ沢へ。勝手知ったる沢だが少々飽きてきた。来年は同じくらいの易しさの、違った沢を探して行こう。

2011年5月6日金曜日

奥多摩、大岳山〜御岳山2題

大震災で仕事がばたばたになり、ブログ更新もおろそかになってしまった。結局。例年通り、この5月連休にこれまでの山行をまとめて書いておく。
今夏は昔の山仲間と白神、会社の山ガール予備軍と槍ヶ岳、という2つのプロジェクトを進めていたが、白神入山のキーパーソンの東北大T教授が、地震で多忙となり、今年はあきらめることにした(別の山を思案中)。沢登りもそろそろ引退の年齢となり、行っておきたかったが、仕方がない。ということで、会社の女性Aを槍ヶ岳にテント山行で連れて行くプロジェクト(通称、槍プロ)に取りあえず注力することにする。


4/3(日)、まずは偵察として単独で、いつもの奥多摩駅925→鋸山1100→大岳山1150→御岳山1245→日の出山1325→つるつる温泉1420のコース。飛ばしに飛ばして1420にはつるつる温泉に到着。トレランの人と競うくらいのスピードで駆け抜ける。1500メートル近辺北斜面は所々残雪があり、御岳神社の裏手にもたんまり雪が残っていた。


その2週間後、大学の山仲間であるおじさん4人と、Aとその友人2人の山ガール3人の、総勢7人パーティーで同じコースを辿る。天気よく、初夏の気温で気持ちがよい。年齢差20歳の変なパーティーで、最初はぎくしゃくした。しかし、登るにつれて段々和む。全くの初心者もいたが、なんとか御岳山までは辿り着く。奥多摩駅940→鋸山1205→大岳山1325→御岳山1500。ケーブルカーで御岳駅方面に下山。単独と比べると約2時間遅れで、温泉なし。新緑にはまだ早かったが、御岳山駅周辺は辛夷などが咲き、早春の装い。全体として、20℃近くの気温と、冬枯れのままの風景がアンバランスだったが、パーティーの年齢のアンバランスさを象徴したような1日だった。御岳山の茶店でビールを飲み、さらに立川駅の居酒屋でも飲む。酒の飲み方だけは50代男も30代女もあまり変わらず、皆満足して帰路についた。

2011年2月20日日曜日

残雪の三頭山へ

先週、都心にも雪が降り、奥多摩もそれなりに積もったろうとの予想の下、2/19(日)、大学からの山仲間Iと2人で三頭山にでかけた。川苔山か、大岳山・御嶽山方面か、はてまた三頭山かと、登る山は決めず、ホリーデーおくたま1号で奥多摩駅に915集合。電車の中から山を見て、意外に雪が残っていないことを確認し、1500メートルある三頭山に決定するといういい加減さ。数馬のバス時間もそのとき確認して、丹波行きバスに乗る。
小河内神社で下りようとしたら、「ダムの渇水でドラム缶橋が通行できない」と運転手に言われ、仕方なく深山橋まで乗車、そこから深山橋、三頭橋と歩きムロクボ尾根に1020取り付く。かなりの急登、北面なのでところどころ雪はあるが、安定して積もっていたのは標高1100mくらいから。ヌカザス山直下の「オツネの泣き坂」でずり落ちそうなやや怖い思いをしたほかは、順調に高度を稼ぐ。ピーク手前の雪のブナ林が美しい。1320に三頭山ピーク。ピークまではまったく人に会わない(他の人は都民の森からピストンか?)、静かな山行を楽しめた。頂上付近は日当たりがいいらしく雪は腐っていた。

その後、笹尾根(南面でほとんど雪なし)を槇寄山まで猛スピードで下り、数馬に至る。このルートも1パーティーを抜いたのみ。1340に三頭山を出て、1530に数馬バス停。なかなかいいペースで飛ばしたが、ほとんど休まなかったので、2人ともかなりバテました。
今シーズン初めての山であったが、ま、今年も体力的になんとかなりそうな予感がした山行でした。ただ、登山靴をはいた右の内側くるぶしが腫れてやや痛かった。1泊2日の山行で翌日も登山靴をはいていたら、2年前の剣岳のように歩けなくなっていたかも。うーむ、気になる。
追記・アークテリクスのザック、アラキス40と、カンプのピッケル、コルサ・ナノテク70cmを初使用。両方とも及第点。40リッターのザックは初めてだが、装備を軽量化して、1〜2泊はこれくらいでこなせるようになると、効率的かつスピーディーな山行ができるだろう。また、ピッケルは歩いている時に持っていても、なかなか歩行が楽であることに、今更気がついた。なお、2600円で買ったプロモンテの手袋は中が蒸れて冷えてだめ。安物買いの銭失いとはこのことか。

自転車のブレーキを直す

かれこれ5年半余り乗っている自転車KHSの小径車(F20-RAC、2005モデル)。先週、いつもmの荒川自転車道に行こうと10分ほど走らせたところでパンク。近所のヨシダサイクルで思い切って前後のタイヤとチューブを交換してもらった。そのとき「ブレーキの金属も錆びてかなりやられてますね」といわれた。ということで、2/13は部品を買ってきてブレーキシューの交換を自分でしてみた。メカには弱い私ですが、なんとか交換に成功。しかし、自転車のブレーキがあまりにシンプルなメカニズムで動いていることに改めて驚いた。ワイヤーが抜けたりしたら即事故だと考えると、少々怖くなった。

時々、小径車からちゃんとしたロードレーサーに乗り換えようかとも思うが、予算的なことと、まだ山登りに注力しようということで、買い換えはペンディング中。ま、あと数年後か。
ということで、直した自転車で黒目川まで。カモとコサギを撮って帰ってきた。

2011年2月12日土曜日

青梅のラーメン屋「味源」まで

2/5(土)、車検が終わったオートバイを東所沢のディーラーでピクアップした後、2月にしては温かい日だったので、関越から圏央道を経て青梅までひとっ走り。青梅インター近くにある北海道ラーメンの「味源」で塩ラーメンを食べて帰ってきた。いつもの名栗一周のコースをとも思ったが、さすがにまだ寒く、高速を往復しただけで終了。
R1200Rも2回目の車検で、既に4年乗っている。走行距離はわずか8000キロ。50歳の超えの中年にとって年間2000キロは多いか、少ないか。微妙なところだが、山登りもあるので精一杯というところか。R1200Rは買ったときにホイールを換え、リヤのケースをヘプコベッカーにし、シールドをGIVIにした。その後、GSのグリップガードを付け、もう買い換えることはないだろうと、昨年は奮発してマフラーをササキに交換した。目立たないが、それなりのカスタマイズ。特にマフラーは優秀で、おかげで低速のトルクがもそっと増し、ワインディングを運転しやすくなった。しかし、正直に言って、4年乗ってもまだ身体の一部になった気がしない。ま、車重のせいだとは思うが、これからもっと年老いていくといういうのに、よほど乗り込まないと、250キロのバイクを転がすのがますますしんどくなるだろう。中年のオートバイ生活も大変です。
どんなアウトドアの遊びも、最終的に己の体力と加齢による衰えとどう折り合いを付けるかが最大の課題となる。山をやめる、走るのをやめる、オートバイに乗るのをやめる…、なんでもやめて引退するのは簡単。仕事を理由に遠ざかるのも簡単。言い古された言葉だが、何事も時間を無理矢理作っての継続こそが、「やめる」気持ちをおこさないための王道かもしれません。