2011年5月6日金曜日

奥多摩、大岳山〜御岳山2題

大震災で仕事がばたばたになり、ブログ更新もおろそかになってしまった。結局。例年通り、この5月連休にこれまでの山行をまとめて書いておく。
今夏は昔の山仲間と白神、会社の山ガール予備軍と槍ヶ岳、という2つのプロジェクトを進めていたが、白神入山のキーパーソンの東北大T教授が、地震で多忙となり、今年はあきらめることにした(別の山を思案中)。沢登りもそろそろ引退の年齢となり、行っておきたかったが、仕方がない。ということで、会社の女性Aを槍ヶ岳にテント山行で連れて行くプロジェクト(通称、槍プロ)に取りあえず注力することにする。


4/3(日)、まずは偵察として単独で、いつもの奥多摩駅925→鋸山1100→大岳山1150→御岳山1245→日の出山1325→つるつる温泉1420のコース。飛ばしに飛ばして1420にはつるつる温泉に到着。トレランの人と競うくらいのスピードで駆け抜ける。1500メートル近辺北斜面は所々残雪があり、御岳神社の裏手にもたんまり雪が残っていた。


その2週間後、大学の山仲間であるおじさん4人と、Aとその友人2人の山ガール3人の、総勢7人パーティーで同じコースを辿る。天気よく、初夏の気温で気持ちがよい。年齢差20歳の変なパーティーで、最初はぎくしゃくした。しかし、登るにつれて段々和む。全くの初心者もいたが、なんとか御岳山までは辿り着く。奥多摩駅940→鋸山1205→大岳山1325→御岳山1500。ケーブルカーで御岳駅方面に下山。単独と比べると約2時間遅れで、温泉なし。新緑にはまだ早かったが、御岳山駅周辺は辛夷などが咲き、早春の装い。全体として、20℃近くの気温と、冬枯れのままの風景がアンバランスだったが、パーティーの年齢のアンバランスさを象徴したような1日だった。御岳山の茶店でビールを飲み、さらに立川駅の居酒屋でも飲む。酒の飲み方だけは50代男も30代女もあまり変わらず、皆満足して帰路についた。

2011年2月20日日曜日

残雪の三頭山へ

先週、都心にも雪が降り、奥多摩もそれなりに積もったろうとの予想の下、2/19(日)、大学からの山仲間Iと2人で三頭山にでかけた。川苔山か、大岳山・御嶽山方面か、はてまた三頭山かと、登る山は決めず、ホリーデーおくたま1号で奥多摩駅に915集合。電車の中から山を見て、意外に雪が残っていないことを確認し、1500メートルある三頭山に決定するといういい加減さ。数馬のバス時間もそのとき確認して、丹波行きバスに乗る。
小河内神社で下りようとしたら、「ダムの渇水でドラム缶橋が通行できない」と運転手に言われ、仕方なく深山橋まで乗車、そこから深山橋、三頭橋と歩きムロクボ尾根に1020取り付く。かなりの急登、北面なのでところどころ雪はあるが、安定して積もっていたのは標高1100mくらいから。ヌカザス山直下の「オツネの泣き坂」でずり落ちそうなやや怖い思いをしたほかは、順調に高度を稼ぐ。ピーク手前の雪のブナ林が美しい。1320に三頭山ピーク。ピークまではまったく人に会わない(他の人は都民の森からピストンか?)、静かな山行を楽しめた。頂上付近は日当たりがいいらしく雪は腐っていた。

その後、笹尾根(南面でほとんど雪なし)を槇寄山まで猛スピードで下り、数馬に至る。このルートも1パーティーを抜いたのみ。1340に三頭山を出て、1530に数馬バス停。なかなかいいペースで飛ばしたが、ほとんど休まなかったので、2人ともかなりバテました。
今シーズン初めての山であったが、ま、今年も体力的になんとかなりそうな予感がした山行でした。ただ、登山靴をはいた右の内側くるぶしが腫れてやや痛かった。1泊2日の山行で翌日も登山靴をはいていたら、2年前の剣岳のように歩けなくなっていたかも。うーむ、気になる。
追記・アークテリクスのザック、アラキス40と、カンプのピッケル、コルサ・ナノテク70cmを初使用。両方とも及第点。40リッターのザックは初めてだが、装備を軽量化して、1〜2泊はこれくらいでこなせるようになると、効率的かつスピーディーな山行ができるだろう。また、ピッケルは歩いている時に持っていても、なかなか歩行が楽であることに、今更気がついた。なお、2600円で買ったプロモンテの手袋は中が蒸れて冷えてだめ。安物買いの銭失いとはこのことか。

自転車のブレーキを直す

かれこれ5年半余り乗っている自転車KHSの小径車(F20-RAC、2005モデル)。先週、いつもmの荒川自転車道に行こうと10分ほど走らせたところでパンク。近所のヨシダサイクルで思い切って前後のタイヤとチューブを交換してもらった。そのとき「ブレーキの金属も錆びてかなりやられてますね」といわれた。ということで、2/13は部品を買ってきてブレーキシューの交換を自分でしてみた。メカには弱い私ですが、なんとか交換に成功。しかし、自転車のブレーキがあまりにシンプルなメカニズムで動いていることに改めて驚いた。ワイヤーが抜けたりしたら即事故だと考えると、少々怖くなった。

時々、小径車からちゃんとしたロードレーサーに乗り換えようかとも思うが、予算的なことと、まだ山登りに注力しようということで、買い換えはペンディング中。ま、あと数年後か。
ということで、直した自転車で黒目川まで。カモとコサギを撮って帰ってきた。

2011年2月12日土曜日

青梅のラーメン屋「味源」まで

2/5(土)、車検が終わったオートバイを東所沢のディーラーでピクアップした後、2月にしては温かい日だったので、関越から圏央道を経て青梅までひとっ走り。青梅インター近くにある北海道ラーメンの「味源」で塩ラーメンを食べて帰ってきた。いつもの名栗一周のコースをとも思ったが、さすがにまだ寒く、高速を往復しただけで終了。
R1200Rも2回目の車検で、既に4年乗っている。走行距離はわずか8000キロ。50歳の超えの中年にとって年間2000キロは多いか、少ないか。微妙なところだが、山登りもあるので精一杯というところか。R1200Rは買ったときにホイールを換え、リヤのケースをヘプコベッカーにし、シールドをGIVIにした。その後、GSのグリップガードを付け、もう買い換えることはないだろうと、昨年は奮発してマフラーをササキに交換した。目立たないが、それなりのカスタマイズ。特にマフラーは優秀で、おかげで低速のトルクがもそっと増し、ワインディングを運転しやすくなった。しかし、正直に言って、4年乗ってもまだ身体の一部になった気がしない。ま、車重のせいだとは思うが、これからもっと年老いていくといういうのに、よほど乗り込まないと、250キロのバイクを転がすのがますますしんどくなるだろう。中年のオートバイ生活も大変です。
どんなアウトドアの遊びも、最終的に己の体力と加齢による衰えとどう折り合いを付けるかが最大の課題となる。山をやめる、走るのをやめる、オートバイに乗るのをやめる…、なんでもやめて引退するのは簡単。仕事を理由に遠ざかるのも簡単。言い古された言葉だが、何事も時間を無理矢理作っての継続こそが、「やめる」気持ちをおこさないための王道かもしれません。


再び秋ケ瀬へ

大学時代からの友人が上京、1/22に飲んで、彼は拙宅に1泊。翌1/23朝、やることがないので、近所の秋ケ瀬に散歩に連れ出す。やはり鳥をCanonのG7で狙うも、なかなか液晶画面にとらえることができない。高い機材を買う余裕もなく、冬の間の暫しの手慰みなので、まあこれでよしとしよう。主な獲物ははるか上空にノスリ、シロハラ、そして彩湖でオオバン。



2011年1月22日土曜日

久々、秋ヶ瀬でバードウォッチング

1月はバイクに乗るのも寒い、山に行くにはまだ早い、ということで、1/17(日)、娘から戻ってきたCANON G7に望遠を付けて、近所の秋ヶ瀬公園に久しぶりに鳥を観にでかけた。2年余りのブランクがあり、なかなか見つけた鳥を液晶ファインダーの中で捕捉できない。それでも、なんとかカワセミ、シメ、シジュウガラなど6種類を確認。しかし、余りの寒さに早々に退散した。バードウォッチングは老人臭い趣味だが、まあ、たまには面白い。






2011年1月10日月曜日

2010下期総括-3(廻り目平キャンプ、金峰山)

2010年の最後の山行は、10/16〜17の金峰山。山仲間と信州側の廻り目平でキャンプをして、焚き火に鍋としゃれこんだ。廻り目平は子供が小さなころ、5月の連休で何度も来た。明るくて開放的なキャンプサイトの生活は、山に登らなくても十分楽しい。ここの最大の魅力は直火で焚き火ができること。われわれも薪をたくさん確保し、焚き火を囲みながら夜遅くまで酒を飲み、馬鹿話をした。この夜も私だけ1人用テント(MSR Hubba)。いやあ独り寝は、誰にも気兼ねなく寝返りが打て、快適です。

翌日はキャンプ場から金峰山へ、そのまま大弛峠まで縦走。先輩が車を回しておいてくれたので、ほぼ空身で快適な登山ができた。たまには、こういうキャンプ(食事)主体の緩い山行もいいもんだ。金峰山山頂からは富士山がうっすらと見えた。

2010下期総括-2(北アルプス・奥穂高、ジャンダルム)

夏の恋ノ岐川の鉄砲水の衝撃からなかなか立ち直れず、秋以降はあまり山に行かなかった。唯一の遠征が、会社の同僚と行った北アルプス・奥穂高岳。あまり縦走はしないのだが、山登りに入れ込み始めた仲間の誘いで、テントを張ったことのない涸沢、登ったことのない奥穂高に行ってみることにした。
9/31の新宿発の夜行バスで上高地へ、その日は涸沢に幕営。2人パーティーだが、1人テント2帳という渋い装備。紅葉は例年より遅く、テン場付近はまだまだというところ。翌10/1にアタック。当初は奥穂高から北穂高に縦走し、涸沢に戻ってくる予定であったが、奥穂ピークから見たジャンダルムの偉容に魅せられ、天気もよいということで、予定変更し急遽、ピストンすることにした。「馬の背」など右も左もキレキレの岩稜を慎重に乗り越え、1時間半ほどでジャンダルム到着。ガスっていたらおそらくルートに迷う岩場の道。天候に恵まれたことを感謝する。

その後、北穂高はあきらめ、涸沢に戻り小屋でビールにおでんをおごってそのまま飲みへ。翌日は上高地に下山し、やはり新宿直行バスで帰京した。

私は基本的に恐がりではあるが、奥穂高ピークでジャンダルムを見たときは、やはり山を長年登ってきた人間として「登りたい」欲求が勝った。トップでルートを見極めながら登るのは久々の快感。あと何年かは“行ける”かな、と自分に自信を持った山行でした。ただ、この年で長距離バスは辛い。

2011年1月8日土曜日

2010下期総括-1(恋ノ岐川で鉄砲水)

結局、2010年もブログをまったく更新しないまま年が明けてしまった。ということで、今年は短い文章でもマメに更新しよう、という意欲を込めて、2010年の総括をしておく。
昨年は夏に荒川自転車道を自転車で走行中、転んで頭を強打し、救急車で運ばれる、というアクシデントがあったが、そのトラブルすらも序の口といえるほどの事態に夏の山で見舞われた。
沢は真名井沢の後、7/25に仲間たちと、丹沢のマスキ嵐沢を遡行した。1級上だがそれなりに危険な沢で、ザイルも出した。下降で尾根筋を間違え、元の沢に戻ってしまうというミスも犯し、結局、懸垂下降を何度も行って下りてきたのだが、帰りの車で秩父の沢で、沢登りの登山者を救出中のヘリが墜落したというニュースを聞いた。この事件は、日テレの報道局員の3次遭難(おそらく鉄砲水で)も引き起こすのだが、われわれも約10日後、その鉄砲水に遭おうとは、思ってもみなかった。
さて、その鉄砲水事件は昔の山仲間と行った新潟・恋ノ岐川で起こった。以下、一緒に恋ノ岐川を遡行した大学ワンゲルOB仲間が書いた報告を転載しておきます。
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21・22期 夏合宿(恋ノ岐川 -鉄砲水の恐怖-)
今年は沢の事故が新聞を賑わせた。秩父山系ブドウ沢でのヘリコプター墜落と記者遭難の事故、日高の沢での東京理科大生遭難事故など、山に縁のない人々にも“沢登り”という言葉がインプットされた。しかも2つの遭難がいずれも沢の増水で流された事故であったことから“沢登り”と“流される”がペアとなって人々の記憶に残ることとなった。我々も一歩間違えば、この夏もう一つの大きな沢の事故の(それも中高年パーティの)当事者として世間を賑わせたかもしれない。TUWVに入部以来、30年近く仲間と沢登りをしているが、初めて「鉄砲水」の怖さを目の当たりにした。

8/6(金) 小出駅前のへぎ蕎麦で腹ごしらえをし、タクシーで恋ノ岐橋へ。奥只見の山々は真夏の緑に覆われ、空は青く絶好の沢日和に思えた。企画書では恋ノ岐橋で一泊の予定であるが、まだまだ日が高いのではやる気持ちを抑えられない。沢筋の遥か奥の空が黒い雲に覆われているのが気になるが、行けるところまで行こうと予定を変更して入谷。前回来たのは四半世紀くらい前のこと。ほとんど記憶が残っていないのにもかかわらず、なぜか懐かしい。こんなに水多かったかなと思いながら遡行。最初のゴルジュ帯を抜けて右から枝沢が入るところに2段5mの滝。恒例(高齢?)のお見合い写真に興じる。
T(この報告の筆者)の次にSさん(これが私)が滝を背に立った時のこと、ファインダー越しに見る落ち口の水位が見る見る上がってくる。そのあまりに急激な変化に、ただ事ではない恐怖を感じ、言葉にならない大声を上げて逃げる。ザックをつかんで枝沢を駆け上がる。振り返るとものすごい勢い
の濁流が吠えるように滝を覆い隠している。その間わずかに20秒程。気が動転している中で、この枝沢も同じように濁流が下ってくるのではないかと、木の枝をつかんで右岸の高台に上がる。木々の間から覗くと、恋ノ岐川は一面、ココア色の濁流だ。一息ついて辺りを見回すと、滝を背にして最も出遅れたはずのSさんがなぜか一番高いところまで上がっている。



高台に平地を見つけ、藪を踏み倒してテントを張る。横になると様々な思いが湧いてくる。これが鉄砲水というやつか。我々はカッパすら着ていないが、上流では激しい雷雨だったのだろう。写真を撮らずに滝に取り付いていたらどうなっていたのだろうか。枝沢のない対岸を偵察していたら・・。枝沢がなかったら・・ゴルジュ帯だったら・・。怖い想像がぐるぐるする中で、無事だった幸運を噛み締めて眠りにつく。

8/7(土) 朝は何もなかったかのように水が引いている。頭の上は青空。しかし、鉄砲水の後遺症でアラ50の士気は上がらない。今日も上流で雷雨があるかもしれないとの思いが頭を過ぎるが、午前中にオホコ沢出合いまで行けば大丈夫と5時に出発する。オホコ沢出合までは大きな釜を持つ滝や快適に登れる小滝が続く。花崗岩の上を水が静かに流れるナメ床には心が洗われる。大高巻きの下降でザイルを出して時間を取られるが、予定の12時にはオホコ沢出会いに着く。オホコ沢出合の左岸の高台にテントを張る。案の定この日も強い夕立。拾い集めた流木はどれも芯まで濡れていて火が熾らない。皆で小さなテントに入って背中を丸めて酒を飲む。「鉄砲水」が頭を離れない。翌日は恋ノ岐源流をやめ、オホコ沢の初遡行に挑戦することを決めて眠りにつく。

8/8(日) 朝はまずまずの天気。迷わずオホコ沢に入る。恋ノ岐川本流に比べると沢幅も狭く水量も少なくなるが、意外と滝が多くフリークライムを楽しめる。二口の沢に雰囲気が似ている。沢を最後まで詰めると台倉山北西コルの水場に出る。遡行タイムは約3時間。エスケープルートとしても使える沢である。ザックを置いて平ヶ岳に向かう。
池ノ岳から眺める平ヶ岳は今回も穏やかで優しい。その風景に満足し、玉子石の無事な姿だけを確認して下山の途につく。それにしても20年前と比べて平ヶ岳周辺に登山者が多いことには驚かされる。その多くは玉子石手前で北へ折れて下っていく皇太子登山道の利用者だ。身近になった平ヶ岳。もう秘境とは呼べない。鷹ノ巣尾根の下りはあいかわらず長くていやらしい。沢から上がった後ではやたらと重く感じられるザックにうんざりしながらひたすら下る。最後の一泊はテントをやめて清四郎小屋の布団で寝ることにする。露天風呂で3日間の疲れと緊張を洗い流し、ビールで乾杯。至福のひと時。今年の夏合宿も無事終了。

山行が終わっても「鉄砲水」の衝撃はなかなか収まらず、しきりと反省してみるがどうしても「こうすればよかった」という解答にたどり着けない。沢筋の奥に真っ黒な空を見たときに、入谷しない英断をすべきだったのだろう。しかし、それでも収まらない。その場合、おそらく我々は暇をもてあまして釣りに出かけたに違いない。エッセン長のAさんと手伝いのI、Tはしばらくして橋の上に戻ってくるが、きっとSさんだけは深く谷を分け入っている。滝つぼで一心不乱にフライを振っているときに鉄砲水が押し寄せたに違いないのである。帰らぬSさんを心配しながら、橋の下の濁流を覗いて呆然とする3人。そんなシーンばかりが浮かんできてしまう。幸運に感謝し、もう沢は潮時かと思いながら新幹線で帰路に着いた。
【行動記録】
日程:2010/8/6(金)~8/9(月)
メンバー:4人
1日目:12:00小出~(タクシー)~13:35恋ノ岐橋~14:45右からの一本目枝沢出会い(C800)、鉄砲水
に遭遇、高台にビバーク(泊)
2日目:5:05 C800~6:25清水沢出会~12:10オホコ沢出合(泊)
3日目:5:55オホコ沢出合~8:00オホコ沢源頭~10:30玉子石~台倉山~16:20清四郎小屋(泊)
4日目:清四郎小屋~(バス)~尾瀬口~(船)~奥只見ダム~(バス)~浦佐
【プレ山行】
奥多摩トレール(4/10)、雲取山(5/15-16)、真名井沢(6/6)、大滝沢マスキ嵐沢(7/25)