ラベル 登山 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 登山 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年2月25日土曜日

2011総括-3(黒部源流・薬師岳)


8/4~8はいつもの昔の山仲間と3年前、 2008年の夏も楽しんだ北アルプス・黒部源流へ。
Iさんが「黒部は一度も行ったことがない」とのことで前回とは行程をひと味変えて、赤木沢を完全遡行、別天地・赤木平から薬師沢左俣を下降、翌日薬師沢右俣を遡行し、薬師岳ピークを 落とし、折立に戻るという、黒部入門コースを設定してみた。さて、その結果は......。 
8/4(木) いつも使っていた夜行列車「北陸」「日本海」などが廃止されたため、今年は池袋23時発の 夜行バスで富山へ。3列シートで意外と快適だが、疣痔を患う私には辛い時間であった。
8/5(金) 富山からは予約してあった折立行き直通急行バスを利用。朝8時には折立着。太郎平に向け歩 き始める。太郎平で生ビールを楽しんだ後、薬師沢出合いに向け下降。薬師沢出合の小屋付近は幕営禁止のため、いつも利用している出合い手前30分ほど にある、左俣・右俣出合い付近のいつものテン場に 臨時野営。てんからで岩魚をしこたま釣り、焚き火で焼いて、 皆で酒を飲みながら馬鹿話をする。たまらないひとときである。

8/5(土) テントはそのままに、昼のソーメンの用意とザイルだけ持って薬師沢出合いへ。そこから黒部源流を遡行し、日本で最も美しいと言われる赤木沢へ。今年の夏の天候はずっと不安定で、この日の天気 も曇時々雨。水量も増水中だ。赤木沢を軽快に遡行 した後、源流部で流しソーメンを食す。その後、流れが細くなった源流部を詰め赤木平に至る。


まさに別天地と言っていい赤木平は、高山植物が 咲き乱れる草原で、もし晴れていたらゆっくり昼寝 でもしたいところだが、天候が急変、雷も鳴り出したので、薬師沢左俣をすぐに下降し始める。.....が、この左俣が曲者だった。下調べを一応ネ ットでしていたのだが、「ザイルを出すほどのこともない簡単な下降ルート」とのことだった。しかし、草原を過ぎ、下りが始まると様相は一変。急峻な滝 が連続し、滝の脇の藪を使っての過酷な下降を強い られる。7mmザイルを持ってはいたが、懸垂下降にかかる時間が惜しいので、左岸、右岸のどちらが降り やすそうかをほぼ勘で判断し、フリーで岩場と藪の下降を続けた。

こういう時に大学のクラブでの経験と30年超の付き合いが効いてくる。トップの判断を後続の人間が脇から谷を覗き込んでサポート。先行が行き詰まったら、すぐに後続が代替のコースを偵察し、ルートを決める。特に細かな打ち合わせを行わなくても、絶妙のチームワークで“ここしかない”というコースを自然に選び取り、下っていく。約4時間ほどかけてテン場に到着、皆ヘトヘトで、この時点で「空身の下降でこのバテ具合。明日、右俣をザックを背負って登るなんて無理」との意見多数で、翌日は縦走路から薬師岳を目指すことにする。

8/6(日) テン場から太郎平にザックを背負って引き返し、指定幕営地の薬師峠にテントを張って、薬師岳ピストン。何度もこのエリアを訪れているが、薬師に登るのは皆初めてだ。今回は百名山ハンターのメンバーの要望を叶えるための山行でもあるので、他のメンバーも渋々、薬師岳を目指す。ただ、Iさんは女子大生溢れる薬師峠のテン場の雰囲気が気に入ったのか「ここで山ガールを見ながら待ってる」と、1人だけピストンをしない決断をする。
8/7(日) 薬師峠のテントを撤収。太郎平を経て折立に下山。富山で寿司を食べて列車で帰京した。皆、50歳を超えて、膝に爆弾を抱えるなど、荷物を担いでの沢遡行が困難な年齢となってしまった。 空身の沢登りか縦走がこれから夏合宿の形態と,なるだろう。もっとも、黒部源流はあと5、6年たっても我々にも遊べそうだ。また皆と訪れたい。

2012年2月5日日曜日

2011総括-2(鳳凰三山、槍ヶ岳)

7/15〜16は槍プロで会社の同僚たちと鳳凰三山へ。車で夜叉神峠に入り、南御室小屋でテント泊。翌日、鳳凰三山を攻め、高嶺から白鳳峠、広河原へと下りるルート。天気良く、初日は順調。しかし、翌日は天気良すぎ暑さにバテる。Aは地蔵ピストンをはしょるほどのバテ方。さらに白鳳峠から広河原への下山ルートも、道の整備がなされておらず、悪い。Aは一度、転んで転落し、引率者たちは肝を冷やす。しかし、いつも思うが、南アルプスは余り面白くないです。


7/29〜31は槍プロ本番。鳳凰三山と同じ3人パーティーで新宿発の夜行バスで上高地に向かう。天気予報はあまり良くないが、自由に休めないサラリーマンゆえ仕方ない。行程はかなりタイトで、初日にテントを担いで殺生ヒュッテまで。小雨降る中、Aをだましだまし、夕刻なんとか殺生着。雨のためハイシーズンなのにテントは我々のみ。翌朝はテントを張ったまま、雨の中、槍ヶ岳ピストン。ピークには誰もおらず。当初の予定はその後、表銀座を燕まで縦走する計画だったが、あまりの悪天に殺生のテントを撤収し、下山へ。徳沢園でキャンプをし翌日、帰路につく。Aにとっては、あこがれの槍ヶ岳に登ったのにピークから何も見えず、さぞかし残念だったことだろう。ま、山は逃げないから次があるさ。


2012年2月4日土曜日

2011総括-1(奥多摩界隈、雲取山、棒ノ折、シダクラ沢)

結局、忙しさにかまけ、2011年もちゃんとブログに記録を書けなかった。震災で仕事がばたばたになったのと、山のパーティーを掛け持ち(昔からのクラブの連中との山行と、会社関係の山行)し、山行回数が例年より多くなってしまったのが主な理由。前回書いた1人の女の子を槍ヶ岳に連れていくべく「山ガール養成講座」をやっていたのも大きい。ということで、簡単に2011年を振り返っておきます。

●4/29〜5/1は、昔の山仲間と石尾根から雲取山、そして長沢背稜、一杯水小屋からという縦走コースを2泊で行った。初日にやや張り切りすぎ、右膝を壊すというアクシデント。雲取ピークからは痛みに耐えての山行だった。ただ、長沢背稜のブナ林は美しく、新緑の頃に是非訪れたいと思った。(写真は長沢背稜を行く友人I)
●5/14〜15は会社の女性Aをテント泊で槍ヶ岳に連れて行く「槍プロジェクト」山行1回目。石尾根から鷹ノ巣小屋。ここでテン張って翌日に雲取山、鴨沢下山というコース。Aは登りのスピードは落ちるものの、よく頑張り、テント泊も苦ではない様子。登りのインターバルも1時間歩いて、10分休憩に適応。なかなか筋がいい山ガールに育ちそうだ。雲取山は1000メーターより上はまだ春には早く、新緑もなし。全般的に晴れていて暖かかったが、朝晩やガスると寒く、ビールの旨さは今ひとつであった。(写真は夕暮れの鷹ノ巣小屋前テン場)

●6/4は日帰りでAを連れて奥多摩前衛、岩茸石山から棒ノ折の縦走路を歩く。岩茸石山からは静かな山道。棒ノ折からミニ沢歩きが楽しめる白岩沢コース。名栗で温泉に入って帰路に付く。(写真は岩茸石山直下)
●6/4は昔の山仲間との沢登りで、いつものシダクラ沢へ。勝手知ったる沢だが少々飽きてきた。来年は同じくらいの易しさの、違った沢を探して行こう。

2011年5月6日金曜日

奥多摩、大岳山〜御岳山2題

大震災で仕事がばたばたになり、ブログ更新もおろそかになってしまった。結局。例年通り、この5月連休にこれまでの山行をまとめて書いておく。
今夏は昔の山仲間と白神、会社の山ガール予備軍と槍ヶ岳、という2つのプロジェクトを進めていたが、白神入山のキーパーソンの東北大T教授が、地震で多忙となり、今年はあきらめることにした(別の山を思案中)。沢登りもそろそろ引退の年齢となり、行っておきたかったが、仕方がない。ということで、会社の女性Aを槍ヶ岳にテント山行で連れて行くプロジェクト(通称、槍プロ)に取りあえず注力することにする。


4/3(日)、まずは偵察として単独で、いつもの奥多摩駅925→鋸山1100→大岳山1150→御岳山1245→日の出山1325→つるつる温泉1420のコース。飛ばしに飛ばして1420にはつるつる温泉に到着。トレランの人と競うくらいのスピードで駆け抜ける。1500メートル近辺北斜面は所々残雪があり、御岳神社の裏手にもたんまり雪が残っていた。


その2週間後、大学の山仲間であるおじさん4人と、Aとその友人2人の山ガール3人の、総勢7人パーティーで同じコースを辿る。天気よく、初夏の気温で気持ちがよい。年齢差20歳の変なパーティーで、最初はぎくしゃくした。しかし、登るにつれて段々和む。全くの初心者もいたが、なんとか御岳山までは辿り着く。奥多摩駅940→鋸山1205→大岳山1325→御岳山1500。ケーブルカーで御岳駅方面に下山。単独と比べると約2時間遅れで、温泉なし。新緑にはまだ早かったが、御岳山駅周辺は辛夷などが咲き、早春の装い。全体として、20℃近くの気温と、冬枯れのままの風景がアンバランスだったが、パーティーの年齢のアンバランスさを象徴したような1日だった。御岳山の茶店でビールを飲み、さらに立川駅の居酒屋でも飲む。酒の飲み方だけは50代男も30代女もあまり変わらず、皆満足して帰路についた。

2011年2月20日日曜日

残雪の三頭山へ

先週、都心にも雪が降り、奥多摩もそれなりに積もったろうとの予想の下、2/19(日)、大学からの山仲間Iと2人で三頭山にでかけた。川苔山か、大岳山・御嶽山方面か、はてまた三頭山かと、登る山は決めず、ホリーデーおくたま1号で奥多摩駅に915集合。電車の中から山を見て、意外に雪が残っていないことを確認し、1500メートルある三頭山に決定するといういい加減さ。数馬のバス時間もそのとき確認して、丹波行きバスに乗る。
小河内神社で下りようとしたら、「ダムの渇水でドラム缶橋が通行できない」と運転手に言われ、仕方なく深山橋まで乗車、そこから深山橋、三頭橋と歩きムロクボ尾根に1020取り付く。かなりの急登、北面なのでところどころ雪はあるが、安定して積もっていたのは標高1100mくらいから。ヌカザス山直下の「オツネの泣き坂」でずり落ちそうなやや怖い思いをしたほかは、順調に高度を稼ぐ。ピーク手前の雪のブナ林が美しい。1320に三頭山ピーク。ピークまではまったく人に会わない(他の人は都民の森からピストンか?)、静かな山行を楽しめた。頂上付近は日当たりがいいらしく雪は腐っていた。

その後、笹尾根(南面でほとんど雪なし)を槇寄山まで猛スピードで下り、数馬に至る。このルートも1パーティーを抜いたのみ。1340に三頭山を出て、1530に数馬バス停。なかなかいいペースで飛ばしたが、ほとんど休まなかったので、2人ともかなりバテました。
今シーズン初めての山であったが、ま、今年も体力的になんとかなりそうな予感がした山行でした。ただ、登山靴をはいた右の内側くるぶしが腫れてやや痛かった。1泊2日の山行で翌日も登山靴をはいていたら、2年前の剣岳のように歩けなくなっていたかも。うーむ、気になる。
追記・アークテリクスのザック、アラキス40と、カンプのピッケル、コルサ・ナノテク70cmを初使用。両方とも及第点。40リッターのザックは初めてだが、装備を軽量化して、1〜2泊はこれくらいでこなせるようになると、効率的かつスピーディーな山行ができるだろう。また、ピッケルは歩いている時に持っていても、なかなか歩行が楽であることに、今更気がついた。なお、2600円で買ったプロモンテの手袋は中が蒸れて冷えてだめ。安物買いの銭失いとはこのことか。

2011年1月10日月曜日

2010下期総括-3(廻り目平キャンプ、金峰山)

2010年の最後の山行は、10/16〜17の金峰山。山仲間と信州側の廻り目平でキャンプをして、焚き火に鍋としゃれこんだ。廻り目平は子供が小さなころ、5月の連休で何度も来た。明るくて開放的なキャンプサイトの生活は、山に登らなくても十分楽しい。ここの最大の魅力は直火で焚き火ができること。われわれも薪をたくさん確保し、焚き火を囲みながら夜遅くまで酒を飲み、馬鹿話をした。この夜も私だけ1人用テント(MSR Hubba)。いやあ独り寝は、誰にも気兼ねなく寝返りが打て、快適です。

翌日はキャンプ場から金峰山へ、そのまま大弛峠まで縦走。先輩が車を回しておいてくれたので、ほぼ空身で快適な登山ができた。たまには、こういうキャンプ(食事)主体の緩い山行もいいもんだ。金峰山山頂からは富士山がうっすらと見えた。

2010下期総括-2(北アルプス・奥穂高、ジャンダルム)

夏の恋ノ岐川の鉄砲水の衝撃からなかなか立ち直れず、秋以降はあまり山に行かなかった。唯一の遠征が、会社の同僚と行った北アルプス・奥穂高岳。あまり縦走はしないのだが、山登りに入れ込み始めた仲間の誘いで、テントを張ったことのない涸沢、登ったことのない奥穂高に行ってみることにした。
9/31の新宿発の夜行バスで上高地へ、その日は涸沢に幕営。2人パーティーだが、1人テント2帳という渋い装備。紅葉は例年より遅く、テン場付近はまだまだというところ。翌10/1にアタック。当初は奥穂高から北穂高に縦走し、涸沢に戻ってくる予定であったが、奥穂ピークから見たジャンダルムの偉容に魅せられ、天気もよいということで、予定変更し急遽、ピストンすることにした。「馬の背」など右も左もキレキレの岩稜を慎重に乗り越え、1時間半ほどでジャンダルム到着。ガスっていたらおそらくルートに迷う岩場の道。天候に恵まれたことを感謝する。

その後、北穂高はあきらめ、涸沢に戻り小屋でビールにおでんをおごってそのまま飲みへ。翌日は上高地に下山し、やはり新宿直行バスで帰京した。

私は基本的に恐がりではあるが、奥穂高ピークでジャンダルムを見たときは、やはり山を長年登ってきた人間として「登りたい」欲求が勝った。トップでルートを見極めながら登るのは久々の快感。あと何年かは“行ける”かな、と自分に自信を持った山行でした。ただ、この年で長距離バスは辛い。

2011年1月8日土曜日

2010下期総括-1(恋ノ岐川で鉄砲水)

結局、2010年もブログをまったく更新しないまま年が明けてしまった。ということで、今年は短い文章でもマメに更新しよう、という意欲を込めて、2010年の総括をしておく。
昨年は夏に荒川自転車道を自転車で走行中、転んで頭を強打し、救急車で運ばれる、というアクシデントがあったが、そのトラブルすらも序の口といえるほどの事態に夏の山で見舞われた。
沢は真名井沢の後、7/25に仲間たちと、丹沢のマスキ嵐沢を遡行した。1級上だがそれなりに危険な沢で、ザイルも出した。下降で尾根筋を間違え、元の沢に戻ってしまうというミスも犯し、結局、懸垂下降を何度も行って下りてきたのだが、帰りの車で秩父の沢で、沢登りの登山者を救出中のヘリが墜落したというニュースを聞いた。この事件は、日テレの報道局員の3次遭難(おそらく鉄砲水で)も引き起こすのだが、われわれも約10日後、その鉄砲水に遭おうとは、思ってもみなかった。
さて、その鉄砲水事件は昔の山仲間と行った新潟・恋ノ岐川で起こった。以下、一緒に恋ノ岐川を遡行した大学ワンゲルOB仲間が書いた報告を転載しておきます。
##

21・22期 夏合宿(恋ノ岐川 -鉄砲水の恐怖-)
今年は沢の事故が新聞を賑わせた。秩父山系ブドウ沢でのヘリコプター墜落と記者遭難の事故、日高の沢での東京理科大生遭難事故など、山に縁のない人々にも“沢登り”という言葉がインプットされた。しかも2つの遭難がいずれも沢の増水で流された事故であったことから“沢登り”と“流される”がペアとなって人々の記憶に残ることとなった。我々も一歩間違えば、この夏もう一つの大きな沢の事故の(それも中高年パーティの)当事者として世間を賑わせたかもしれない。TUWVに入部以来、30年近く仲間と沢登りをしているが、初めて「鉄砲水」の怖さを目の当たりにした。

8/6(金) 小出駅前のへぎ蕎麦で腹ごしらえをし、タクシーで恋ノ岐橋へ。奥只見の山々は真夏の緑に覆われ、空は青く絶好の沢日和に思えた。企画書では恋ノ岐橋で一泊の予定であるが、まだまだ日が高いのではやる気持ちを抑えられない。沢筋の遥か奥の空が黒い雲に覆われているのが気になるが、行けるところまで行こうと予定を変更して入谷。前回来たのは四半世紀くらい前のこと。ほとんど記憶が残っていないのにもかかわらず、なぜか懐かしい。こんなに水多かったかなと思いながら遡行。最初のゴルジュ帯を抜けて右から枝沢が入るところに2段5mの滝。恒例(高齢?)のお見合い写真に興じる。
T(この報告の筆者)の次にSさん(これが私)が滝を背に立った時のこと、ファインダー越しに見る落ち口の水位が見る見る上がってくる。そのあまりに急激な変化に、ただ事ではない恐怖を感じ、言葉にならない大声を上げて逃げる。ザックをつかんで枝沢を駆け上がる。振り返るとものすごい勢い
の濁流が吠えるように滝を覆い隠している。その間わずかに20秒程。気が動転している中で、この枝沢も同じように濁流が下ってくるのではないかと、木の枝をつかんで右岸の高台に上がる。木々の間から覗くと、恋ノ岐川は一面、ココア色の濁流だ。一息ついて辺りを見回すと、滝を背にして最も出遅れたはずのSさんがなぜか一番高いところまで上がっている。



高台に平地を見つけ、藪を踏み倒してテントを張る。横になると様々な思いが湧いてくる。これが鉄砲水というやつか。我々はカッパすら着ていないが、上流では激しい雷雨だったのだろう。写真を撮らずに滝に取り付いていたらどうなっていたのだろうか。枝沢のない対岸を偵察していたら・・。枝沢がなかったら・・ゴルジュ帯だったら・・。怖い想像がぐるぐるする中で、無事だった幸運を噛み締めて眠りにつく。

8/7(土) 朝は何もなかったかのように水が引いている。頭の上は青空。しかし、鉄砲水の後遺症でアラ50の士気は上がらない。今日も上流で雷雨があるかもしれないとの思いが頭を過ぎるが、午前中にオホコ沢出合いまで行けば大丈夫と5時に出発する。オホコ沢出合までは大きな釜を持つ滝や快適に登れる小滝が続く。花崗岩の上を水が静かに流れるナメ床には心が洗われる。大高巻きの下降でザイルを出して時間を取られるが、予定の12時にはオホコ沢出会いに着く。オホコ沢出合の左岸の高台にテントを張る。案の定この日も強い夕立。拾い集めた流木はどれも芯まで濡れていて火が熾らない。皆で小さなテントに入って背中を丸めて酒を飲む。「鉄砲水」が頭を離れない。翌日は恋ノ岐源流をやめ、オホコ沢の初遡行に挑戦することを決めて眠りにつく。

8/8(日) 朝はまずまずの天気。迷わずオホコ沢に入る。恋ノ岐川本流に比べると沢幅も狭く水量も少なくなるが、意外と滝が多くフリークライムを楽しめる。二口の沢に雰囲気が似ている。沢を最後まで詰めると台倉山北西コルの水場に出る。遡行タイムは約3時間。エスケープルートとしても使える沢である。ザックを置いて平ヶ岳に向かう。
池ノ岳から眺める平ヶ岳は今回も穏やかで優しい。その風景に満足し、玉子石の無事な姿だけを確認して下山の途につく。それにしても20年前と比べて平ヶ岳周辺に登山者が多いことには驚かされる。その多くは玉子石手前で北へ折れて下っていく皇太子登山道の利用者だ。身近になった平ヶ岳。もう秘境とは呼べない。鷹ノ巣尾根の下りはあいかわらず長くていやらしい。沢から上がった後ではやたらと重く感じられるザックにうんざりしながらひたすら下る。最後の一泊はテントをやめて清四郎小屋の布団で寝ることにする。露天風呂で3日間の疲れと緊張を洗い流し、ビールで乾杯。至福のひと時。今年の夏合宿も無事終了。

山行が終わっても「鉄砲水」の衝撃はなかなか収まらず、しきりと反省してみるがどうしても「こうすればよかった」という解答にたどり着けない。沢筋の奥に真っ黒な空を見たときに、入谷しない英断をすべきだったのだろう。しかし、それでも収まらない。その場合、おそらく我々は暇をもてあまして釣りに出かけたに違いない。エッセン長のAさんと手伝いのI、Tはしばらくして橋の上に戻ってくるが、きっとSさんだけは深く谷を分け入っている。滝つぼで一心不乱にフライを振っているときに鉄砲水が押し寄せたに違いないのである。帰らぬSさんを心配しながら、橋の下の濁流を覗いて呆然とする3人。そんなシーンばかりが浮かんできてしまう。幸運に感謝し、もう沢は潮時かと思いながら新幹線で帰路に着いた。
【行動記録】
日程:2010/8/6(金)~8/9(月)
メンバー:4人
1日目:12:00小出~(タクシー)~13:35恋ノ岐橋~14:45右からの一本目枝沢出会い(C800)、鉄砲水
に遭遇、高台にビバーク(泊)
2日目:5:05 C800~6:25清水沢出会~12:10オホコ沢出合(泊)
3日目:5:55オホコ沢出合~8:00オホコ沢源頭~10:30玉子石~台倉山~16:20清四郎小屋(泊)
4日目:清四郎小屋~(バス)~尾瀬口~(船)~奥只見ダム~(バス)~浦佐
【プレ山行】
奥多摩トレール(4/10)、雲取山(5/15-16)、真名井沢(6/6)、大滝沢マスキ嵐沢(7/25)

2010年6月26日土曜日

2010上期総括-2(宮城・二口 大東岳)

2010/05/03〜04。5月の連休は奥多摩の高水山のほか、1泊で昔の山仲間と宮城・山形県境の二口山塊の大東岳、南面白岳に行った。かつて、大学時代入り浸っていた山域。2年前の6月、久しぶりに大行沢を遡行し、ブナ林が豊富な二口の山の良さを再認識した。…ということで、今回は春山。どれくらいの寒さ、どれくらいの雪の量かわからず、CAMPの軽量ピッケル、ホグロフスの軽量ザックを新調。春山のほぼフル装備で挑んだ。
早朝の新幹線で仙台へ。仙山線に乗り換え愛子。そこからバスで本小屋へ。歩き始めは初夏を思わせるとてもいい天気で、快調に飛ばす。1000メートル辺りから雪が出始めるが腐っていてアイゼンは不要。ただし急斜面でピッケルは役に立つ。シャフトの長さは、60センチではなく、70センチにしとくんだった。大東ピーク着後、樋の沢に下りる。やや道が悪く、急斜面で緊張する。17時過ぎに小屋着。てんからの装備は持って行ったが、釣りをする気力なし。結構疲れていて21時前には就寝。
翌日は曇り、昨日と打って変わって寒い。春山らしい程よい固さの雪が付く登山道を進むが、寒くて風景を楽しむ余裕あまりなし。小東岳から南面白に縦走し、面白山スキー場に下山。仙台で寿司を食って帰京。宮城も今年の春は遅い感じであった。2日目の寒さが誤算、もっと雪山で肌を焼きたかった。
なお、新調したホグロフスザックは、この後の雲取山山行で早くもパッキング時に締め付ける紐が切れ、恵比寿の直営店にクレーム、現金返しとなった。後発ザックメーカーはだめなのか……。
右写真のザックがダメ・ホグロフスザック。使い勝手はそこそこなんだが……。

2010年6月20日日曜日

久々のブログ、2010上期総括−1(奥多摩3題)

忙しさにかまけて、なかなかブログを定期的に書けない。今年は下期からはきちんと書くことにして、とりあえず2010年の6月までの総括を。基本的に山は奥多摩、自転車・車は荒川の日々でした。山登り、沢登り、ハイキング、釣り、バイクツーリング、温泉と、自宅から1時間半ほどで、ほとんどの外遊びができる奥多摩。規模、自然の度合いはそこそこだけど、首都圏に住む人間にとってとても貴重なフィールドです。さて、今年は山に入ると例年より1〜2週間春が遅い印象でした。いくつかの装備を新調して、50男は今年も孤独に(時々仲間と)山を駆け回ります。
●2010/04/10
まず足慣らしのために、昔の山仲間と奥多摩の大岳山、御岳山、日の出山の低山縦走へ。去年の高尾山〜秋川のロングトレイルが、あまりに長く不評だったので、今年は軽めからスタート。930奥多摩駅発でつるつる温泉1555着。単独より遅いペースだが、それなりにバテる。つるつる温泉が臨時休業で、立川で反省会。(写真1、日の出山から東京方面を見る)
●2010/04/29
ゴールデンウィークの初っぱなに単独で奥多摩、高水山から棒ノ嶺、名栗・さわらびの湯へ。天候不順で軍畑駅を出てすぐに雨、傘をさして登る。午後から安定するも、高水山から稜線はまだ初春。新緑も今一。ただ、岩茸石山から先は登山者も少なく静かな山道。黒山のピークはなかなかいいところ。有間ダムへの下山道は雨で増水するとやや危険。軍畑950発、さわらびの湯1450着。(写真2、黒山でやっと晴れる。新緑はこれから)
●2010/05/15〜16
今まで行ったことのなかった石尾根(奥多摩駅〜雲取山)を昔の山仲間と1泊でやっつける。長くて単調で、広々としたハイウエイのような登山道ををひたすら登る。やはり春は遅く、尾根上はまだ緑が少ない。また、5月中旬とは思えぬ涼しさだ。無人の鷹ノ巣小屋で1泊。意外に皆疲れていて8時には就寝。奥多摩駅930発、鷹ノ巣小屋1500着。(写真3、4、雲取山へのハイウエイとピーク)
翌日は快晴で富士山を愛でながらの快適な登山。若い女性に山登りブームとかで、いわゆる山ガールもちらほら。おじさんパーティーにはいい目の保養となる。しかし、あの山スカートというのはどうでしょう。ちょっと履いてみたい気も。雲取のピークを踏んだ後、曇り始め富士山も見えなくなる。速攻で下山。鷹ノ巣小屋700、雲取山910、鴨沢着1300。

2010年1月10日日曜日

熊に遭う、奥多摩で



(熊の回にだけエッチ投稿が機械的に頻発したのでオリジナルを消して再度アップしておきます)
金曜夜、飲む相手がいなかったので早めに帰宅。翌日(2009年7月11日)の土曜、奥多摩にトレーニングに行くことにした。コースはいつもの古里から赤杭尾根→川苔山→鳩ノ巣だ。快調に飛ばし、川苔ピークまであと1時間ほどの地点、尾根道から右手にトラバースする道に入ったところで、ドドッ、カサカサカサカサ、という何かが走る足音、そして前方を見ると小さな黒い影。ツキノワグマの子供だ。向こうも驚いたようで瞬く間に約30メートル前方の杉の木に登り始めた。想像以上の素早さ。子熊は7〜8 メートルほど登った後で、上からこちらを不安そうに見ている。奥多摩にも熊がいるのは知っていたが、それは登山家の山野井氏も襲われた奥多摩駅以西、ダムの北側あたりのことだと思っていたので驚いた。
母熊がいたら大変なことになるので、一時登山道を引き返し待機。3分ほど待ってまた先ほどの地点に引き返してみると、まだ子熊は木の上からこちらを見ている。母熊がいるのは確実なので、仕方なく引き返し、トラバース道ではなく尾根道を行くことにした。笛も鈴も持っていなかったので、声を出し、手を叩きながら歩いたが、盆踊りのように手を叩く自分がなんとなく滑稽で情けなかった。
トレーニングはいつものように4時間ほどでコースを完歩。一心亭で風呂に入り、ビール、鮎、蕎麦で締めて家路に就いた。
いやあ、いい体験をしました。しかし、あの辺りでも熊がいるとは。今度から奥多摩でも笛、鈴必携ですな。
(写真の中央にある木の右の細い木の真ん中辺りの黒い影が子熊)

2010年1月2日土曜日

2009年総括-1

去年も忙しさにかまけ、ブログをさぼってしまった。夏から秋までの主な山行をとりあえずまとめておこう。50も過ぎて、昔のようには登れなくなってきた。沢登りもあと1、2年かな。
2009/8/7〜10 秋田・森吉山、桃洞沢、赤水沢。ノロ川流域のナメが独特の沢に学生時代の山仲間と夏合宿で入った。おまんこの形をした桃洞滝が、潮を吹いておりなまめかしかった。しかし、2009年の夏は天候がとても不安定で、雨に打たれながらの縦走は精神的にも参った。赤水沢出合から玉川温泉への道は、道ではなく沢であった。森吉山ピーク直下でツキノワグマにまたもや遭遇。今年2回目でした。

2009/9/18〜20 北アルプス・剣岳。山仲間と今年流行の剣岳へ。秋の連休で剣は大混雑、事故も頻繁に起こっていた。ただ、天気は良好で秋のアルプスを満喫できました。剣登山後、右足くるぶし外側が腫れてしまい、内蔵助平は断念。新たな足の悩みが浮上。登山靴をどうするかが今後の課題。

2009/10/4〜5
昔よくいっしょに山に行っていた会社の後輩と、新潟の火打山へ。紅葉がすばらしいとのことだったが、ピークは盛りを過ぎていた。テント山行だったが楽勝であった。なお、皮の登山靴は使わず、ニューバランスのトレイルランのシューズで登った。

2009年7月25日土曜日

谷川岳トレーニング


夏山トレーニングを兼ねて、6月20、21日と山仲間と2人で谷川岳に行った。土曜朝発の特急みなかみで水上まで。さらに上越線で県境をトンネルでくぐり土樽へ。そこから茂倉新道を登る。天気はいいいが、思いの外急登で、かつ尾根上の登山道は木の根っこがじゃまで歩きにくい。4時間かけてる茂倉避難小屋。2時過ぎとまだ早いが、バテたのと天候が悪くなってきたのとで、本日はここまでとする。
その後、学生パーティーや老人パーティーなど続々と到着。小屋は大混雑となった。おしゃべりで段取りの悪い学生パーティー、自分たちのことしか考えない老人パーティー、大した実力もなさそうなのに「リーダー論、組織論」を議論し始める中年社会人パーティーなど、雑音だらけでなかなかくつろげない。やはり、山で泊まるのはテントに限る。
翌日は朝から雨、茂倉岳を経て谷川岳(トマの耳、オキの耳)。肩の小屋でビールを飲んですぐ出発。ノンストップで天神平まで1時間で下り、ロープウェイをおごって一気に下山。水上で温泉に入り、反省会をして帰還した。
谷川岳の下山路では、最近多い、高齢者の大人数ツアー登山とすれちがった。もう山に登ってはいけないような年齢、体力の人を、数人のガイドが危険な山に連れて行くのはどうか、とこのとき思った。あんな少しの雨でも、めげていた老人がいた。あれが嵐になったら何人かは持たないだろう。翌月に起こった大雪山の夏山大量遭難死は、いつかはどこかで必ず起こるはずの悲劇だったと言える。

2009年沢始めシダクラ沢


だんだん沢登りが怖くなってきて、沢のグレードでも一番簡単な1級ですら、最近難儀になってきた。
ということで、6月7日、今年の沢始めとして、山仲間といっしょに奥多摩のシダクラ沢に行ってきた。奥多摩の中でも最も簡単な部類に入る沢で、まさに初心者向け。でも、それなりに楽しめる。ちなみに私は2度目である
奥多摩駅から10分ほどバスに乗る。バス停からダム下のむかし道に入り、しばらく行って、吊り橋を渡り入渓。奥多摩らしい苔むした沢で、時折現れる小さな滝もほぼ楽勝。ただ、久しぶりの山登りで、ちょっとバテる。途中、一番大きな滝でザイルワークのトレーニングもする。1時半過ぎに尾根道に上がる。沢から外れ、尾根道に出るまでの30分は、急登で疲れた。そのまま奥多摩湖方面に下りる予定が、皆が御前山に行きたいと言うので、尾根を登ることにする。途中、避難小屋を偵察、栃寄部落まで一気に下る。
反省会で奥多摩駅前の食堂に寄ったが、生ビールも蕎麦もうどんも激マズで、まいった。やはり、一心亭に行くべきだったか。

2009年4月29日水曜日

高尾山2題




足慣らしに2008年3月と4月に高尾山〜秋川に歩きに行った。昨秋、何十年ぶりかに高尾山〜景信山を登ったのだが、歩き足らないコースだったので、もっとロングトレイルはできないかと考え、秋川に抜けるルートを取ってみた。
1度目は3/15に単独で。昨秋の景信山から以北をつなげるべく、小仏から入る、丁度下界は梅のころだったが、尾根に上がるとまだ冬の装い。陣馬では富士山がくっきりと見える。陣馬まではすごい人数のハイカーだったが、和田峠からはぱったり人がいなくなり、時折トレイルランのランナーが抜いていく程度。醍醐丸周辺はいい具合の広葉樹林で、宮城の二口山塊を一瞬思い出させる。市道山までは快調に飛ばしていたのだが、だんだん膝にダメージが来て、臼杵山では痛さが増してくる。荷田子に下りて「瀬音の湯」に入る計画だったのだが、荷田子コースが地図上で若干長く感じたので元郷下山に変更。結果、これが失敗で、急な下山路を下るはめに。下山後もばてきっていて、結局、温泉はあきらめる。小仏バス停950スタート、元郷着1625だった。
2度目は4/11。昔の山仲間と今年の夏合宿のミーティングをしたときに、「どこかにトレーニングに行こう」ということになり、自らのリベンジの意味も込めて3/15のコースを提案。せっかくなら高尾山口から入ろうということで、超ロングに挑戦することになった。40代後半を中心に総勢7人が820に高尾山口集合。「さあ歩き出そう」となったところで「ケーブル乗らないの?」と誰かが言う。先を考えケーブルに乗ることに。私自身には全くの想定外のことだったが、結果、この選択がよかった。山は桜のハイシーズンで、前回よりもハイカー、ランナーは多い。陣馬で昼食休憩後はひたすら歩く。さすがに何人かは膝に来て、臼杵山から荷田子への下山はパーティーが分かれる。念願の「瀬音の湯」につかり反省会。しかし、ここの温泉もオープン当初に比べ混んできていただけませんな。高尾山口820スタート、瀬音の湯着1750という、足慣らしにしては歩き過ぎた1日でした。ちなみに距離は22、3キロとのこと。
高尾山周辺は人が多く尾根も緩やかなので、秋川方面や奥多摩につなげるロングコースにしないと、どうも「歩いた」という充実感がわいてこないのが玉に瑕。しばらくはこのコースをやる気はないが、秋にでもまた歩いてみるかな。

2009年1月4日日曜日

2008年総括-2 黒部源流をたっぷり遊ぶ






2008年の夏は大学時代の山仲間と北アルプスの黒部源流に遊んだ。

●ピークを踏まない通好みのルート
 毎年夏の間だけ沢登りを楽しむ我々パーティーは、2004年に引き続き北アルプス・黒部源流の沢歩き山行を行った。その前のプレは、宮城・大行沢、奥多摩・川苔谷などを遡行した。
 さて、前回の4年前は、赤木沢を遡行しきって尾根に上がり、黒部五郎から水晶、湯俣という超ハードなスケジュールであったので、今年は黒部を満喫するために、ピークを全く踏まない通好みのルートを組んだ。
 ちなみに、私は1980年の大学ワンゲルの夏合宿で今回も同行したK、Zらと立石からの奥の廊下を遡行している。その時、高天原温泉に入ったのだが、高天原温泉の28年ぶりの再訪も今山行の一つの目的であった。

●秘密のテン場で岩魚釣り
 メンバーはPL私のほか、F、I、T、K、Zの6人。7/31の夜行「北陸」富山に向かう。8/1早朝に富山着。赴任地の広島から既に富山に先着していた冨士原と合流、折立行きの急行バスに乗る。
 折立から太郎平小屋までは4年前は皆バテバテであったが、今年は涼しく楽勝。4時間ほどで到着しL。その後、薬師沢を目指して尾根を下る。40分ほどで沢に出て薬師沢小屋に向かうが、我々はテント持参、薬師沢小屋は幕営禁止ということで、いつもの薬師沢右俣・左俣出合い近くの「秘密のテン場」(2張はれます)に向かう。
 ここは薬師沢小屋手前1時間ほどの地点から登山道を外れて薬師沢に下りたところにある。テン場の目の前で岩魚が釣れるまさに別天地。15年ほど前に私が見つけ、以降、利用させてもらっている。この日も全員で20匹余りの岩魚を釣り、「やっぱり黒部だね」と言いながら皆で酒を酌み交わした。ちなみに前回の黒部は私はフラフィッシングだったのだが、今回は軽量化のためてんからで攻めた。

●赤木沢出合で流しソーメン
 翌日(8/2)は一旦登山道に戻り、薬師沢小屋までまず下りる。ここから黒部源流に入る。源流一帯は幕営禁止なので、小屋の従業員による源流に入ろうとする人間のチェックが意外と厳しい。我々はウサギ平か祖父平の幕営を予定しているのだが、小屋の従業員から「どこまで行くの?」と聞かれた場合の答えを事前に用意していた。案の定呼び止められたが、Fが「赤木沢を登り切ります」とさらっと答えて事なきを得る。
 この日はまさに黒部日和とも言える最高の天気で、快適な沢歩きを堪能した。赤木沢出合で流しソーメンのL。Zが考案した、「タマネギ入れの網」に茹で上がったソーメンを入れ、流水で冷やす方法が大成功。皆の賞賛を浴びる。その後は私は岩魚止めプールで岩魚釣り(10匹爆釣)、その他は赤木沢遡行(大滝手前までピストン)と分かれる。
 2時間後再び赤木沢出合で合流し、遡行を再開、祖父平まで行き幕営。

●パーティー分裂
 翌日(8/3)はパーティーが分裂した。翌日から仕事のFと、懸案の西鎌尾根から槍ヶ岳を目指したいZの2人が5時に出発、源流遡行に向かった。2人は双六小屋まで一緒に行き、Fは新穂高温泉に下山、Zはその後、槍、穂高の縦走を完遂して8/4に無事下山した。なお、源流は雪渓が残っていていやらしいところもあったそうだ。
 さて残された4人は祖父沢を遡行、雲ノ平に上がりテントを張って空身で高天原温泉に向かった。露天風呂につかり、女性レンジャーの裸もチラリと楽しんで、再び雲ノ平のテン場に戻ったのだが、さすがに10時間近くの行動時間に疲れ果てて、酒もあまり飲まずに眠った。

●嵐の中の下山、そして……
 最終日(8/4)はあいにくの悪天であった。雨の中、雲ノ平から三俣蓮華、双六と縦走、その後、新穂高温泉に下山した。この日もやはり10時間近くの行動時間、それも嵐の中とあって、精神的にも肉体的にもきつい1日であった。温泉を楽しんだあと、タクシーでそのまま松本へ。松本で反省会を行い、Tは長野新幹線と東北新幹線を乗り継いで帰仙、私、I、Kはあずさで帰京した。
 なお、あずさ号組は大雨で中央線が止まってしまい、結局4時間遅れ、八王子着が0時半、立川着が0時40分。JRにタクシーを手配してもらったものの、家に着いたのは全員2時、3時であった。前日雲ノ平のテン場の起床が4時なので、なんと23時間行動という悲惨な1日となった。
 それぞれが、それぞれの黒部と北アルプスを楽しんだ今回の山行。30年近い山の付き合いがあったからこそ完遂できた計画だったと言えるかもしれない。しかし、われわれもそろそろ50代。連日の10時間行動はそろそろ見直さないと……。

2008年総括-1




忙しさにかまけ、ブログを半年もさぼってしまった。ブログはやはり、イベントの直後に書かないと、書く気が失せてしまう。今年はこまめに更新しようと思う。ま、誰も読んでいませんが、日記代わりとして。
正月休み最後の休日、2008年の山行を総括しておきます。川苔谷の後の山行は以下の通り。50歳前にしてはそれなりにがんばれました。

2008/6/14〜15 宮城・二口山塊、大行沢(おおなめさわ) 大学時代の山仲間と、四半世紀ぶりくらいに大行沢へ。仙台に着くやいなや地震に見舞われ、一時はどうなることかと思ったが、仙台在住の仲間の車でなんとか入渓。今や全国区となった“ナメ”を楽しむはずが、その前のゴルジュの突破に4時間くらいとられ、ナメは登山道からながめるだけに。しかし、美しい沢とブナ林を堪能できた山行だった。右の写真2点が大行沢と小東峠から見た二口の山並み。美しいですね。

2008/7/21 奥多摩・赤杭尾根トレーニング。一人で一心亭に行き、鮎とそばを楽しむ。
2008/7/31〜8/4 北アルプス・黒部源流(次項)
2008/10/5 宮城・泉ヶ岳 大学のクラブの創部50周年記念山行。懐かしかった。
2008/11/5 高尾山 奥多摩はアプローチが時間がかかるので、20年ぶりくらいに高尾山に行くが、人が多く辟易。ミシュランの観光ガイドに載った影響か。裏高尾に入ると人は少ないが、山の雰囲気はやはり奥多摩の方が上。もちろん、二口と比べると奥多摩も糞のような山(杉林は糞山の証)だが。小仏峠を経て、景信山まで足を伸ばし、小仏バス停まで下山。
2008/12/3 登り納めは有休を取って日の出山へ。奥多摩から入る予定が、電車の事故で青梅で足止めくらったので、青梅から歩く。三室山を経て日の出山へ。つるつる温泉に下り、温泉につかってから帰宅。上の写真は最近の低山歩きのザックと靴。ザックはシライデザインの10年もの。まだヤレが少ない。

2008年6月22日日曜日

川苔谷逆川で落石事故




今年の夏合宿は黒部源流に決定し、そろそろ沢トレーニングも始めねばと、5/17(土)の奥多摩・川苔谷逆川に山仲間3人で行ってきた。天候は曇り・小雨。10時30に入谷。
2年前に遡行して楽勝だった印象だったが、一番最初の滝で左岸を大きく高巻いたことを忘れていた。
相変わらずいやらしいルンゼの大高巻きで、ザイルを出した。しかし、ラストで私が登っている時に、先行者が落石をし、それすぐコールしなかったため、 沢上10mぐらいをよじっていた私はそれに気づかず、おそらく20センチ前後の岩が、昨年新調したペツルのメットを直撃した。前頭葉部分に当たった のだが頭が後ろに引っ張られる激しい衝撃で、1週間ほどむち打ち気味が続いた。あと、頭頂部にちょっとこぶができた。
もし直撃の瞬間上を向いていたら——、古いガリビエールのメットのままだったら——、あるは岩がもう一回り大きかったら——と思うと今でもぞっとする。
皆さん、「ラーック!」のかけ声は忘れないようにしましょう。また巻きや滝の直登は先行者が登り切るまでは、後続者は安全なところで待機していましょ う。易しい沢でも基本を忘れちゃいかんと深く深く反省しました。
沢は終点大滝が1430、一心亭着1600でした。

なお、一心亭の鮎は昨年より育ちがいいらしく、一回り大きかった。

2008年最初の山は奥秩父、両神山




GWは5/5〜6、学生時代の山仲間と2人で埼玉の両神山に行った。
百名山メーンルートの日向大谷からのピストンではなく、
坂本から八丁峠、西岳、東岳、両神山、清滝小屋(ここで幕営)という縦走路。
八丁峠に「初心者は行かないように」という立て看がありましたが、その言葉通りの難ルートだった。
断崖絶壁と鎖場の連続。しかも雨で岩肌も鎖もつるつるという最悪の条件。落ちたらアウトというところが数カ所あった。
“核心部”の2キロに2時間もかかり、夕刻6時近くに2人ともヘロヘロで清滝小屋に到着。
感触としては2級上くらいの沢の手応えだった。
百名山ハントで両神山に行くときは、八丁峠から登るべきだろう。日向大谷からのピストンでは百名山に値しない。
翌日はドピーカンだったが、2人とも山に登る元気は既になく、朝すぐに下山。秩父で蕎麦を食べて帰路についた。
ま、いいトレーニングにはなりました。